「Story」vol.11 藤永佳子

長崎県立諫早高等学校教諭
元資生堂ランニングクラブ
2009年世界陸上女子マラソン代表
筑波大学卒 2000年度奨学生(OB)
© 2017 長崎新聞社
 日本人の心を掴むスポーツ、『駅伝』。
選手たちが懸命に襷を繋げてレースを戦う姿は、観る者を夢中にさせ、涙を流しながら応援する人も少なくない。走るというシンプルな行為を観ているだけなのに、そこまで感情移入してしまうのは、選手たちが人生を賭け、それぞれが大きなドラマを背負いながら走るからだろう。脈々と繰り返し受け渡されてきた襷(たすき)には、選手たちの汗と涙が染み込んでいるが、スタッフや応援する人たちの想いや気持ちまでも繋がれてきている。日本人が大切にする心を刺激する駅伝は、人生の縮図を観ているようだ。

 2017年1月15日。大雪が降る京都で行われた皇后杯 第35回全国女子駅伝も多くの人たちを感動させるドラマチックなレースが行われた。長崎県代表は最後まで優勝争いを演じ、見事4位入賞。ゴール手前では、愛知と静岡の猛攻を2秒差で制する激しい展開だった。その長崎県代表を監督として率いたのが藤永佳子(フジナガ・ヨシコ)だ。
 高校時代に日本代表として世界ジュニア陸上選手権に出場し、若手大型ランナーとして大きな期待を受けた存在だった。筑波大学に進学後は日本選手権で5000mを制しユニバーシアードでは2種目でメダルを獲得、怪我で苦しんだ時期もあったが、実業団に進み2009年の世界陸上では日本代表選手として女子マラソンに出場する等、ワールドクラスの長距離ランナーとして活躍した。
 2012年春に現役を引退すると、スポーツ専門員として母校である諫早高校で指導者としての道を歩み始める。

名将から託された襷の重さ

 30年の長きに亘って諫早高校陸上部を指導し、全国有数の強豪校に育て上げた松元利弘氏がこの春に定年を迎え勇退。藤永はその後任に抜擢された形だが、そのスタートは暗中模索、手探りの状態からであったと明かす。
「恩師が退職されて新体制になり、正直どうしていいのか分からない時期がありました」
松元氏は諫早高校の女子駅伝チームを率いて全国高校駅伝大会に23回出場。内、入賞12回、2度の優勝に導き堂々たる成績を残した。そんな偉大なる名将から託された襷の重さで押し潰されそうにもなった。
「これまで負けることを考えたことはなかったのですが、先生がいなくなって恐さを感じるようになりました。先生はいつもこのプレッシャーと戦っていたのかもしれない。何十年も(県)連覇をされた方とは比べ物にはなりませんが、その偉業を途絶えさせたくはありません」

「自分では上に立つタイプでないと思っているので、指揮を執ることに抵抗はあります」と苦笑いするが、松元氏の遺伝子を継承する藤永であれば、彼女なりのやり方で遺産を守っていけるはずだ。
「東京から帰ってきたばかりの頃と今とを比べると、年々成長しているなとは感じています」
日本を代表して世界の精鋭ランナーたちと戦ってきたプライドもあるために、高校生の選手たちに対して「なんでできないのか?」と追い詰めてしまったこともあった。その反省から目線を生徒たちまで落として、「トップを目指すよりも人間性を大事に、成長していく子どもたちが人間としてしっかりした大人になれるように」と指導方針は明確だ。
 心の育成――。これは恩師が大切にしてきたものでもある。
「あいさつや時間厳守など、まずは人間として身につけるべき部分を徹底して養う。そこが競技力の土台になる。基本的な生活習慣がしっかり身についているチームは強い。心の指導をした方が最終的には強くなる」という信念に基づいて、生徒たちの生活態度にまで口を出した。
 松元氏は練習場近くの自宅を下宿先として選手を迎え入れ、走りの指導だけでなく、食事面や精神面でも選手たちをサポート。中学時代までは目立ったランナーではなかった藤永は、高校でその才能の片鱗を見出され、熱血指導を受けることで全国レベルの選手へと急激な成長を遂げた。正に松元流指導の体現者である彼女は、心の育成に重きを置く師の教えをベースに、そこへ自分なりの色を加えていく。

 元オリンピック選手であり、現在は陸上競技解説者として綿密な取材力に定評がある増田明美さんも氏の指導力には一目を置いており、「(諫早高校の)選手たちは礼儀正しくて、目がきらきら輝いている」と選手たちの人間性を褒めている。

一度言っても、「はい」と答えは返ってきますが右から左

 「あたりまえですが食べたものが体を動かすので、特に長距離選手は食事を大切にしています。食生活の指導も行っており、むしろ練習の内容よりも食事の内容を重視しています」と笑いながら説明するものの、成長過程にある子どもたちを預かっている責任感から栄養には人一倍気を配る。
 諫早高在学当時の藤永はチームメートらと監督の自宅に下宿し、衣食住を共にしていた。しかし指導する側に回ってみて「私が寮に入っていって一々食事のチェックをすると、子どもたちは自分のテリトリーを侵されたと感じるようです」と、現代のティーンエージャーは干渉されることに拒否反応が強い。そのため、生活面にまつわる部員たちとのコミュニケショーンはテキストベースで行うこととし、食事内容を日誌に書くよう指導。そこへ的確にアドバイスを与えていく。
「食べるものは身体の癒やしにもなるので、ストレスを感じさせないように、どのように指導していくかは指導者のやり方だと思います。最も大切なのは信頼関係ですね。一度言っても、「はい」と答えは返ってきますが右から左なので、分かってもらえるまで同じことを何度も言い聞かせるようにしています」

道の先には広い世界があることを子どもたちに伝えたい

 高校の部活動で子どもたちを預かる以上、オリンピックを狙える有望選手の育成ばかりに集中するのではなく、いずれ競技としての陸上から離れていってしまうであろう部員への指導も大切な仕事だ。部員たちの中で才能や意識に大きな差もあるが、それぞれのやる気をうまく引き出しながら成長を促している。
「十代は敏感なので、記録や成績だけを見るのではなく、全ての部員を視野に対応しています。全員にトップを見て感じてもらいたいですし、3年間続けて欲しいです。そして、自分たちが恵まれた環境で練習できていることを知って、感謝の心を持ってもらいたい。私が高校生のときは、親の苦労も見ていましたので、親と私を受け入れてくださった松元先生ご夫妻には本当に感謝していました。私が頑張れたのは、そこなんです。」
「今の子どもたちも『自分は誰かに支えられている』というのは分かっているのだとは思います。そこに支えてくれている人たちの想いに応えようという気持ちが生まれれば、後押しになってもう一歩踏み込むことができる。何かを犠牲にする覚悟ができれば、もっと頑張れるはずなんです。」
「何かを成し遂げたければ、何かを犠牲にしないといけない。一番になりたければ、隠れてでも人より努力するべきです。個人で全国に出ることは難しくても、皆の力を合わせれば(駅伝で)全国の舞台に立てる。子どもたちにこの高校に入って良かった、ここで走って良かったと思ってもらいたいです」
 現役時代に努力を惜しまずに練習してきた藤永は、その姿勢を教え子たちに伝えていきたいという想いを抱いている。長距離走では相手選手との駆け引きも大切だが、最終的には自己との戦いである。辛く苦しい練習を乗り越えて、自分との戦いに勝ち続けることで、レースでも最後まで諦めない強い心が養われ、好成績を出せるようになる。全国大会や世界大会に出場できるランナーはごく一握りでしかないが、学生時代に陸上競技、ひいては駅伝の練習や大会で学んだことはその後の人生に大きく役立つ。「諦めない心を学びました」と藤永が言うように、長距離を走る練習を乗り越えることで得た自信や強い精神力は、社会に出てからも大きな武器となる。
© 2017 長崎新聞社
「私はオリンピックには出られませんでしたけど、世界大会に出る夢を叶えて、先生になる夢も実現させました。私が指導者になりたいと思ったのは、自分がやってきたことを次の世代に伝えたいからです。皆の道の先には広い世界があることを子どもたちに伝えたいんです。こんな私でも努力を続けることでできたのですから、子どもたちにも夢を持ってもらい、その夢に向かって努力を続けて欲しい。私も長崎で育ちましたが、もしも陸上をやっていなければ長崎しか知らない人間で終わっていたと思います。長崎から世界に出ていく子を育てたい。優勝できなくても、頑張ったけどあと一歩足りなかったといいう悔しさを味わえば、子どもたちはもっと伸びると思います。中学生、高校生のときは目標に向かってやることが大切で、足りなかった部分を考えて、探していって欲しいです」

 世界の大舞台で活躍してそのレベルを肌で感じてきた藤永は、トップクラスの選手が多く集まる環境から世界に通用する選手を育てるのではなく、故郷の長崎で次世代を担う子どもたちを育成する道を選んだ。
「ここは自分が育った町なのだから戻らないといけないという(ノスタルジックな)責任感からではありませんが、私が選手を育てるのであれば、自分を育んでくれたところでと思いました。松元先生は県外から選手をスカウトしてくるのではなく、地元の選手を育て上げてきたので、そこは自分も変えたくはない。戻ってきた当初は『なんで帰ってきてしまったんだろう』『東京が良かった』と思うこともありましたが、今はやはり長崎に戻ってきて正解だったと信じています。私の原点は長崎であり、諫早高校なので」
 藤永に後を託した松元氏も「良い指導者の素質を持っています」と愛弟子の手腕に期待を寄せる。
「一流選手は自分のやり方が一番だと信じて押し付けてしまうことが多いのですが、彼女はとても研究熱心で勉強家です。これから日本を代表する指導者になると思います」
 現役生活を終えた藤永は、指導者としてのスタート地点を、自らがアスリートとして生まれ変わった過去のターニングポイントに求めた。あたかも生命のリレーのごとく、恩師から受け取った襷に藤永佳子という変異を書き加え、次の世代の進化を導く道を選んだのだ。師弟で挑む夢の結晶が光を放つ、その姿を目にする日はそう遠くないかもしれない。

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