「Story」vol.10 大石鉄太郎

自然科学研究機構 核融合科学研究所 高密度プラズマ物理研究系 不純物輸送研究部門 助教
東京大学大学院 工学系研究科 システム量子工学専攻 博士課程卒 1997年度奨学生(OB)
 幼い頃から明確な目標を立て、そこに向かってしっかりと歩んでいけば、夢に到達できる。
 岐阜県に在る核融合科学研究所でプラズマの研究を行っている大石鉄太郎(おおいし・てつたろう)助教と話していると、そんな気持ちになってくる。

 核融合と聞くと、核爆弾や原子力など危険な研究を行っているのではと連想しがちだが、「プラズマで核融合を起こすと、たくさんの電気を作れます。1グラムの燃料を核融合反応させたときに発生するエネルギーは、石油8トン分のエネルギーに相当します。海水から原料を取る核融合は未来のエネルギーであり、地球温暖化も防げます」との説明を受けてみると、何やら大きな誤解をしていたようだ。
のっけから普段は耳にすることの少ない難しそうなワードが並んでいるが、大石少年は小学生のときにはもう核融合の研究に携わりたいと目標を設定していたと言う。

将来の夢が巨大ロボットになることでした

 「ロボットものが好きでした」という大石は、テレビの戦隊ヒーロー達よりも彼らが操縦する巨大変形ロボが好きな子供だった。「5歳のときには、将来の夢が巨大ロボットになることでした」と笑うが、佐世保で造船業に携わっていた祖父から「ロボットは人間に操られるだけだから面白くないよ」と諭され、ロボットを作り、操る博士に方向転換。
「博士になると思っていたくらいなので、学校の勉強は良くできていました」と語る姿が嫌味に感じないくらい自分の夢を純粋に追いかけ、夢を実現した今でも仕事への純粋さを失っていない。
「とにかく博士になるには大学に行かないといけない。5歳の子供が知っていた大学は東大だけだったので、東大に行くと決めました」と早くも東京大学入学を意識したそうだ。

 「幼稚園の頃になぞなぞが大好きで、その頃からゲーム感覚で1次方程式は解けました。」
なんとも羨ましい話だが、勉強が苦にならなかったのは幼い頃の体験が大いに役立ったと言う。
「遊びから入って自然に勉強を好きになったのは、父の教育方法が良かったのだと思います」
 父親が芸術家として活動していたために、家には材木や工作に適した材料がたくさん転がっていたそうだ。ロボット博士になりたかった少年は小学校低学年のときには、父親と一緒に材木で高さ50センチほどのロボットを作った。
「ロボットを作るからにはある程度は動いて欲しいので、強度や関節の機能にまでこだわって作りました」
高学年になると電子工作に夢中となり、家に転がっていた木製のギアを組み込んだ水陸両用車を、朝方まで没頭しながら完成させたこともあった。
「思いのまま自由に“もの”を作る環境が与えられていたことには、本当に感謝しています」
 小学校5年生のときに、地元の佐世保市が主催した「少年科学教室」に参加したことが契機となり、将来の夢がロボット博士から現職である核融合研究者に変わる。エネルギー教室で電気やエネルギーの基礎を学ぶ中で、火力発電や原子力発電が持つデメリットに不安を覚え、核融合という新しいエネルギー資源に興味を持った。
「軽い原子同士がくっついて、重い原子になることを核融合と言い、そのときに大きなエネルギーが放出されるので、それを利用して発電ができると聞いて、これは面白そうだと思いました。その時点で、ロボット博士ではなく、核融合の博士になると決めたんです。エネルギー問題を自分の手で解決できるという部分に惹かれました。この研究をすれば、地球がもっと住みよい世界になるというのに“ときめき”ました」
この教室で与えられた短い期間で核融合原理の基礎を理解し、自分なりに考えた核融合についての発表もしてしまったという。それでも本人は「ミニ四駆に、ビックリマンチョコ、コロコロコミックが大好きな普通の小学生でした」と屈託がない。

 勉強ばかりしていた訳ではなく、中学では「部活の軟式テニス中心の生活を送りました」と意外なことにスポーツに熱中していたそうだ。父親は高校生のときに軟式テニスの長崎県大会で優勝、社会人でもプレーした経験があり、大石が通った地元の公立中学でもコーチを務めていた。「父には心身共にむちゃっくちゃ鍛えられました」と大石は当時を振り返る。

勉強ができなくなったら急に楽しさが失われて、勉強する気まで失ってしまいました

 「学校の勉強はできるだけ授業中に理解していました。授業に集中して理解できれば、学年で一番にはなれました。それは小学校のときから変わりません。テストを解くには、それなりの練習が必要ですが、理解するかどうかは授業だけで平気でした」
塾に通うこともなく、地元の公立学校の授業だけで良い成績を収めたのには秘訣がある。「分からないことがあれば、その都度、学校の先生に聞けば答えてくれるので、なんでも先生に質問していました。学校の先生はその道にかけてのプロですからね」と学校にあるリソースをフル活用した。
勉強を教わりに来る友人も多く、放課後には仲間を集めて大石が授業の補習をしたこともある。
「人に教える機会は大切です。人に丁寧に教えることで、自分の中での理解度が高まりますし、ものすごく身になりました」と教える経験が役立ったとも言う。

 ただ有名な大学に入ることが目標ではなく、核融合の研究に携わるという明確な目標のもと、東京大学理科I類に入学を果たす。専門的分野に別れる3年生からは希望する工学部システム量子工学科に進み、核融合や核分裂などエネルギー源としての原子力を研究した。
中学時代に始めたソフトテニスは大学でも続け、サークルの幹部として東京六大学対抗戦などで活躍。学業だけでなくプライベートも充実した日々を送った。
 ここまで聞くと、いかにも全てに秀でた学生の順風満帆な大学生活のようだが、進学して間もなく想定外の躓きもあったのだと打ち明けた。高校までの学習内容は授業だけで理解できていたが、東大に入ると「いきなり難しくなり、全く理解できない科目がいっぱいありました」と人生で初めて学習の壁に直面する。
「大学1、2年生の間は進学できるだけの単位取得に集中して、全く分からない科目は単位を取れませんでした。高校までは勉強ができていたから楽しかったのですが、勉強ができなくなったら急に楽しさが失われて、勉強する気まで失ってしまいました」と苦笑い。
 3年生以降の専門的な勉強に関してもさらに分からないことは増えたが、「幸運にも協力しながら一緒に勉強する仲間が大勢いて、学校の図書室に本当に住み着きながら、テスト前は合宿のような感じで、各自に担当を割り振り、受け持った科目だけは一生懸命に勉強して、皆で教え合っていました。そんな勉強方法をしていると、また勉強が楽しくなったんです」
幼少の頃から一人で迷うことなく続けてきた勉強だったが、ここでは友達と助け合うことで壁を乗り越えることができた。

 東京大学の院生時代は、大学院に所属しながらも現在勤務している核融合科学研究所に派遣され、共同研究の実験をする度に研究所まで何度も足を運びながらの5年間(修士課程2年・博士課程3年)、東京と岐阜とを行き来する生活が続いた。

より安全で豊富なエネルギー源を世の中に

 現在は核融合科学研究所で、核融合発電に関するプラズマの研究を行っている。そもそも核融合発電とは原子核同士を人為的に融合させることで発生するエネルギーを電力に変換する技術なのだが、原子核同士は近付けると反発しあうため通常は衝突しない。そこで、反発しあう力を超える速度を原子核に与えてぶつける訳だが、そのためにはプラズマと呼ばれる状態にする必要がある。更にはエネルギー変換効率が一番良い条件も追求しなくてはならない。大石はそのプラズマを研究している。
「より安全で豊富なエネルギー源を世の中に供給できるようになります。核融合は火力発電に比べると温暖化ガスを極めて出さない発電方法ですし、原子力発電に比べると低リスクで、高レベルな放射性廃棄物が出ない。そんな発電方法を世の中に送り出すことができれば、世の中は変わります。火力発電を続けると、化石燃料を持っている国の発言力が強くなり、それらを奪い合うために戦争もおきます。核融合発電の燃料はほぼ海水なので資源の奪い合いもなくなると思います」

 米軍基地がある長崎県佐世保市という土地で育ったこともあり、世界平和には人一倍強い思い入れを持つ。
「私が研究している核融合には『核』という言葉が含まれているため誤解されがちですが、元来の核エネルギーが持つ有効な力を使って世界を平和にしていきたい。核融合という安全に制御ができるエネルギー源は、世界から争いの火種を一つ消すことができます」
しかしこの研究はまだ実用化には遠く、あと30年は時間を要するという。
「私が生きている間に実用化できるかどうか。まずは社会が許してくれるのか。そんなに長引くのであれば、研究を止めてしまえと言われるかもしれませんが、地球を救う未来のエネルギーとして社会に大きく役立つものなので、研究を続けさせていただきたい」と強い使命感と情熱を持って語ってくれた。

人が応援してくれる環境が私を後押ししてくれた

 大石は幼稚園生のときに巨大変形ロボを発明する博士を目指すべく東京大学に入る意思を固め、小学生で核融合の研究者になると目標を定めた。傍目からは一見、自分の思い描いた道を着実に歩んできたようにも見えるが、「人の縁です」とこれまで受けてきた周囲からの協力に感謝の意を表す。
「私がやりたいと言ったことを頭ごなしにダメだと否定せずに、むしろ頑張れと励ましてくれたので、やる気が湧きました。人が応援してくれる環境が私を後押ししてくれたので、今こうしているのは自分だけの力ではありません」
「テレビに写っているロボットになりたい」
荒唐無稽な子供の夢に真剣に耳を傾け、才能の芽を伸ばす経験を与えるのは本当に大切なことだ。子供自身の努力だけでは彼らの目指す道は拓かれない。どのような夢であっても唯一無二、チャンスを与え、チャレンジする意欲を失わせてはいけない。自身の持てる能力を存分に発揮し、学び得てきたものを未来の社会へ注ぐ大石の歩みを振り返ると、改めてそう思わされた。

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