謙虚で温厚なジェントルマン 「自主的に考えてから行動をする」 ラガーマンとしてトップリーグで活躍する杉永亮太(すぎなが・りょうた)は、学生時代から考えながらプレーすることで自らの才能を伸ばしてきた。 謙虚で、縁の下の力持ちとして泥臭いプレーも厭わない杉永は平成生まれながら、高度成長期の日本を支えてきた昭和の男を感じさせる。光が当たらなくても、チームが最も必要とするプレーを進んで行う。 「不器用なところがあり、ボールさばきだったり、キャッチだったり基礎的なミスが多かったので、巧さよりも小さなプレーも大切に気持ちでプレーするタイプです」 6歳からラグビーを始めた杉永は、長崎南山高校時代に全国区の選手として脚光を浴びる。高校3年生のときに高校日本代表メンバーに選ばれ、スコットランド・ウェールズ遠征に参加した。 「高校では日本代表にも選ばれ、それなりの自信はあったのですが、大学に入る前に初心にかえりました。日本代表に入り、全国には凄い選手がたくさんいることを知り、図に乗ってはダメだと痛感しました。初心にかえってプレーできる環境でチャレンジしたいと思い帝京大学を選びました」 帝京大学は2009年から16年まで全国大学ラグビーフットボール選手権大会で8連覇中の大学ラグビー界の絶対王者。そんな強豪チームの中でも杉永は存在感を示して、在学期間中には全国大学選手権と関東大学ラグビー対抗戦で46勝1敗の成績を残し、前人未到の8冠達成に貢献した。 大学で頂点に立ち続けた杉永は、ジャパンラグビートップリーグのキヤノン・イーグルスに加入。日本で開催される2019年ラグビー・ワールドカップの代表入りに向けて奮闘している。
「大学とトップリーグでは身体の違いが大きい。大学では外国人選手が入っても1人か2人で、外国人選手がいないチームも多いのですが、社会人では外国人選手が多く体格の違いを感じます。外国人選手にどう対抗していくかを考えながらプレーしています」 杉永が出した答えは、外国人選手が苦手とする低い体勢からのプレー。 「高く入ると飛ばされたりするので、足首を狙うような気持ちでタックルも低く入っていますが、ここまではそれで成果を得ています」
インタビューにもゆっくり丁寧な言葉で受け応えする杉永は、ラグビー選手とは思えないほど謙虚で温厚なジェントルマンだ。 身長184センチ、体重100キロの大きな身体に比例するかのように大きなハートの持ち主で、さり気ない行動からも優しさが感じられる。社会人としてはその優しさが大きな武器となるが、ラグビーのフィールドでは時としてマイナスになる。 「練習だからといってプレーに優しさが出てしまうと、激しい練習のときでも少し抜いてしまったり、タックルに緩く入ってしまったりする部分が、試合の時に甘さとして出てしまう。練習でしっかりと激しい部分は激しく100%でやらないといけない。相手が全力で来ているのに、自分がそこで力を抜いてしまったら意味がないので、そこは全力でぶつかっていきたい。それが自分の課題ですし、先発に定着できない理由の1つだと思います」と気は優しく力持ちな杉永は反省の言葉を口にする。
「仕事でもラグビーでも周りとのコミュニケーションが大切」 「社会人になって時間の使い方にも余裕が出て来ました。社会人は学生時代に比べて練習時間こそ短いですが、集中して密度の濃い練習を行っています。自由な時間も増えたので、自分の心に余裕を持った行動ができるようになりました。また、学生のときは常に周りに誰かがいたのですが、今はチームメートと同じ場所に住んではいますが、基本的には一人暮らしなので、一人の時間を楽しめるようにもなりました。一人が好きな訳ではないのですが、一人になれる時間を持つことで、ラグビーにも集中できますし、自分に投資できる時間が与えられています」 高校、大学生のときは学業とラグビーの両立を求められたが、社会人となった今は仕事とラグビーの両方に取り組むことで、杉永の意識にも変化が現れた。
「トップレベルでラグビーを続けられるのは30代までで、ラグビーを終えてからの方が人生は長いんです。そこをしっかりと見据えた上で、ラグビーと仕事を両立しなければならないと強く思っています。仕事の時間を無駄にすることなく、ラグビーと同じように集中しながら業務に当たるように心掛けています」 集中力などラグビーを通して身に付けたものは、仕事面でも生かされる。 「チームワークの大切さは仕事でも重要だと感じています。チームで動くことも多いので、自分の役割を見つけて、自分がすべきことをやりながら貢献するようにしています。仕事でもラグビーでも周りとのコミュニケーションが大切なので、ラグビーで培ったコミュニケーション能力と対応力も仕事で役立っています。コミュニケーションに関しては、常日頃から取ることが大切ですね。また、ラグビーと同じく、仕事でも入念な準備が必要不可欠です。準備ができていれば、突発的なことが起きても冷静に対応できるので」
「考えて行動し、チームで同じ方向に歩んでいけたからこそ、社会人でもラグビーを続けられる環境を与えられたんだと思います。」 スポーツをする人間であれば、誰もがトップレベルを目指すし、少しでも長く現役を続けていきたいと願っている。 高校でスポーツに打ち込んでいても、大学でもスポーツを続けられる者は限られてくるし、プロもしくは社会人のトップリーグまで進めるのはほんの一握りしかいない。 その一握りにしか与えられない特権を手にした杉永は、「帝京という本当にトップレベルの大学に入れたことが大きいですが、そこに入るには高校の先生だったり、周りの方のサポートがあったからで、今まで僕を支えてくれた方々には本当に感謝しています」と感謝の気持ちを表した。 「大学では入学当初から自立を求められ、やらされて動くのは自分の成長にも繋がらないので、自分でなにが必要なのか、なにが足りないのかを考えて行動するようにしました。それも一人で考えるのではなく、チームメートたちと意見を交換しながら、全員が同じ目標に向かって行動していくことが大切だと思います。帝京で4連覇したことももちろん凄く嬉しいのですが、チームとして成長を続けていけたことも嬉しかったです。そのように考えて行動し、チームで同じ方向に歩んでいけたからこそ、社会人でもラグビーを続けられる環境を与えられたんだと思います」 大学でラグビー選手としてだけでなく、一人の人間として成長してきたからこそ掴んだトップリーグ選手の座。大学時代にラグビーだけでなく、勉強にも精を出したからこそ大きく成長できた。 「社会人になると周りは全て大人なので怒られることもなく、悪いことをしても何も言われません。学生時代に自主性や自立を学んできたことが、社会人になって生かされていると感じます。大学時代にはラグビーだけでなく、人としてしっかりすることを学びました。社会で生きるための力を学んだのが大学時代ですね。学業もしっかりと単位を取らないとラグビーもプレーできませんでしたし、まずは勉強からと言われてきました。単位を取るだけでなく、そこからなにを学んで自分のものにするかが大切ですね。自分の場合は心理学を通してメンタルトレーニングを学び、考えてから行動する力を身に付けられたのは大きかったです。4年生になったときには自分だけが成長するのではなく、下級生も成長させて、先輩から学んだことを後輩にも継承していけたことが、帝京の強さに繋がっていると思います。言動にも責任を持って行動することを学びました」
帝京大学時代には、「日本にはラグビーをしているフランカーはいないが、一人だけ良かったのは帝京大の7番」と当時の日本代表監督であり2015年のワールドカップでラグビー史に残るジャイアントキリングを導き出したあのエディ・ジョーンズ氏から高い評価を受けた。地味で泥臭い存在であっても本物を知る名将は杉永の存在価値を瞬時に見抜いた。 派手なプレーではなく、地味でも勝利に必要なプレーができる選手は必要不可欠な存在。とくに代表チームのような各チームのスター選手が集まる場合には、自己犠牲精神を伴った杉永のような選手は重宝される。 2019年の代表入りに向けてまだまだ課題は多いが、あと3年も成長する時間は残されている。自らの意志を知性に昇華させてきた杉永ならば、再び桜のジャージを着てピッチに立つ勇姿をモニター越しに見せてくれるはずだ。
Other Report 「Story」vol.17 花尾恭輔駒澤大学 経済学部商学科 3年 陸上競技部2020年度奨学生「My graduation 2020 #2」奨学生(2020年3月卒業)からのメッセージ「My graduation 2020 #1」奨学生(2020年3月卒業)からのメッセージ